2012年3月28日水曜日
猿田毘古=大人弥五郎=屋久王=スサノオ
《猿田毘古=大人弥五郎=屋久王=スサノオ》
「猿田毘古=大人弥五郎=屋久王=スサノオ」
兜布とは何なんだろう?と辞書を引くと、
「修験者のかぶる小さい頭巾。山中遍歴の際、瘴気に触れるのを防ぐ為に被るという。
法身不変を表示する黒白の布で造り、十二因縁に象って十二の襞(ひだ)を設け、
紐で顎に結びとめる」と書いてある。
だが、それは頭巾にしては余りに小さく、またなぜ?
頭を覆わずに額に着けるのか?という肝心の理由が書いてない。
ところが、私たちは、それは海人たちのものだと知っから、
この疑問にも正しく答えることができる。
沖縄の語源・ウチナーは大天で天竺、すなわちインドから来ているが、
そのインドの海に注目すると、海の聖獣はマカーラである。
これは神々の王・ビシュヌーの化身の一つだが、
その特徴は額にある一本角である。
中国ではその一本角が死者を護る象徴とされ。
人面や獣の頭につけられた副葬品が多数出土している。
その一本角は小さく、まさに兜布を頂く位置に生えている。
ことに鹿児島県大隅町の、大人弥五郎どん祭りの、
この面のものは、まさに兜布そっくりである。
これで大人弥五郎は、間違いなく猿田彦だとわかる。
しかし何故?名が違うのだろう?。
大隅語の発音は「ヤクルドン」である。
私にはそれは屋久郎ドンと聞こえる。
こんな顔をした屋久島王といえば、
そこに杉を植えたスサノオもそれに該当する。
大隅では弥五郎は武内宿祢だともいう。
宿弥は高族=カリエンで、宝貝を貨幣として中国に売って、
その富で商帝国=殷を樹立した一族の、長の名乗りである。
これでフェニキヤ人が屋久島へ来た時期も判った。
それは縄文杉の年輪と共に貝貨幣と殷の発掘物とそこに書かれた文献史料という、
莫大な物証をもっていたからである。
屋久郎ドンは海人の王だから、
船の王であり、海原を支配した神・マカーラでもある。
その容貌は、まさしく中近東の人である。
とすれば、兜布はフェニキヤ人の船乗りのもので冠の一種だったのである。
それが冠だった証拠もまた大量にある。
それは江戸時代まで実用品だった武士の礼装用の冠で、
浅野内匠守が刃傷の場で額につけているあれである。
これは新羅の王も全く同じものを着けていたことが、
出土品の陪葬騎士像ではっきり判る。
それは兜布とは形が違い、はるかに複雑な形になっているが、
額の前方の同じ位置に着け、紐を顎で結んで止める。
兜布を基に考案、心理的効果を狙って改良進化したことが判る。
このことで、
もう一つ国史の中で大きな位置を占めている「宿祢」とは、
どんな意味をもっ名詞かという謎が解けた。
武内宿弥はスサノオで、
屋久島に初めて杉を植えた人物だ王であったことは間違いないから、
古代皇族の名乗りにたくさん見られる
「足」や「根」の称号で呼ばれても不思議ではない。
「祢」は、その「根」とみて間違いない。
では「宿」は何のことか?。
鹿児島語では杉は「スッ」である。
そして宿もまた「スッ」である。
指宿は「イブスッ」と聞こえる。
「宿祢」も、「杉根」も、どちらも「スッネ」である。
ただ杉根は、「杉の木の根っこ」ではなくて、
「杉の王」を意味していたのである。
こう解ってみると
スサノオ=猿田彦=大人弥五郎=武内宿祢の関係は、
同一とみて微動だもしない。
それはもちろん名乗りの上だけのことで、
屋久島にレバノン杉を植えたスサノオと、
壹與=神功皇后を助けた武内宿弥は時代が千年も違い、
別人であることはいうまでもない。
宿祢と同じものに「足尼」がある。
こちらはソクニだから大隅人だとソクはスッになる。
ニもネの大隅語。
これはスッネという発音を聞いて、
大隅人が当て字をつけたものという ことになる。
さらに南九州では
スッネは「少ない」でもあるから少名彦名の命でもある。
こうして名乗りや称号を分析してみると、
それらがどの地域で使われ、記録されたかが
よくわかるものが多い。
このことも言語復原史学の機能の一つである。
この地域の差は、形の上でも現われる。
たとえば兜布のもとになった一本角は、
夥しい変異を生み出しているから、
それを入念に観察すると、
それがどこからどこへ伝播したかという伝播ルートが分かる。
一本角はバビロンの神・マルドゥクの神竜像や、
そのイシュタル門のレリーフにも明瞭にみられるから、
インドのマカーラが先ではない。
在来の古代交通観とは違って、
交通・通商は質も量も速度も大きかった。
だから文化の伝播は決して一方通行ではない。
※出典:加治木義博「言語復原史学会・大学院講義録36:19~23頁」
『参考』
『言語復原史学会:Web』
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