2012年3月20日火曜日
稲作文化:アソカ仏教宣布団
《アソカ仏教宣布団》
「アソカ仏教宣布団」
1985年に青森県弘前市の砂沢遺跡で、
弥生前期の水田跡が発掘された。
弥生水稲が南九州に移植されてから、
1~2世紀の間に本州北端まで広がったのである。
これらは弥生中期に卑弥呼と結婚したソナカたち一行の遺物ではない。
それより5世紀も前の移住跡なのである。
それは前記の通り、
水稲栽培開拓にまつわる難問題を克服できるだけの、
かなりの人数の人々の大移住があった証拠だが、
交通至便な現代でも余程のことがなければ移住などしたくはない。
ましてや歩くか船に乗る以外に乗り物のなかった時代に、
本州の北の果てまで移住したのは、
余程の理由があったことになる。
一体だれがそこまで行ったのか?。
しかし当時、水稲の原産地帯にも、
中国にも、九州にも大量移住が必要な大動乱や大災害などはどこにもなかった。
そんな地域まで、これほどの長距離大移動を敢行したのは、
世にも希な目的意識のある人々がいたためとするほかないから、
それはやはり弥生直前に敢行された
アソカ仏教宣布団の大移動以外にはありえない。
マレー語源からフィリピンまで、ソナカと犬と支配者の称号を残した、
あの卑弥呼の夫の祖先のソナカが、
南九州から次第に東北地方まで、
仏教圏を拡大して行ったのであろうか?。
またそんな寒地にまで熱帯ヤポニカ種が適応しただろうか?。
それとも寒地向きの稲も準備していたのであろうか?。
※出典:加治木義博「言語復原史学会・大学講義録21:27頁」
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