2012年3月9日金曜日
観世音の光明焔
《観世音の光明焔》
「観世音の光明焔」
鳩摩羅汁(クマーラ・ジヴァ)以前には「観世音」という名は一つもない。
しかし観世音の前に「光世音」があったことがわかる。
これも「光=カウ=カ」で、観世音と同じ「カシイ」への当て字である。
またこの文字を使った人の国籍もわかる。
光=コーをカ、世=セをシ、音=オンをインと発音したのは、oe 音を
使わない沖縄人だった証拠である。
また最も早い250年の漢訳でも、卑弥呼死後の訳だったことがわかったし、
さらに何よりも重要なのは、
その前後が卑弥呼の唱導した
「愛=慈悲の聖母」の強大な『観音力』信仰が、
日本列島から中国大陸へ拡大して、全盛期を迎えようとしていた時期であったこと。
だからこそ、その経典が次々に漢訳されたのだという証拠が、重なって充満していることである。
また佐和氏は続けて『阿弥陀経典に説く観音の像容』と題して
「観音経の中にはその姿については述べていなかったが、
呉の支謙の訳した『阿弥陀三耶三仏薩楼仏壇過度入道経』の
巻上(大阿弥陀経と略称するもの)に初めてその姿について述べている。
その一菩薩は名を蓋楼亘(カルウニカ)(慈悲、悲慰)といい、
その一菩薩は名を摩河那鉢(マカナパ)(大那覇)ともいう。
その光明と知恵は最も第一で、頭頂の光明の焔は各々他方を照らし、
千の須弥山をもつ仏の国中が常に明るい、その光明は各々、千億万里を照らす」
と引用している。
これを読むと『日本書紀』の、卑弥呼が生まれた当時の記事を想い出さずにはおれない。
そこには
「日の神が生まれた。大日霎の貴(おおひるめのむち)と名づける。
此の子、光華明彩、六合の内に照り徹(とお)れり」
と書かれている。
後半だけを訳すと
「この子は美花のように彩られて明るく光り輝き、
六合=村の中のどこにいても、遠くからよく見えた」とある。
これは彼女が、遠くからでも目立つような、
明るく花のような色の髪の毛=金髪をもっていたと読めばリアルで自然だが、
在来の誇張された解釈では
「大日霎の貴は身体から光りを放って、全世界に照り徹っていた」となり、
仏教徒の住む広大な世界を隈なく照らすという
観世音菩薩の頭上から放射する上記「光明焔」の表現と、
全く同じものになるからである。
この伝承が卑弥呼の形容として伝わり、
それが観世音の名とともに広まる際に、
観音力の象徴として神秘化が進み、
千万億土を照らす光華明彩として説教され、
経典の翻訳もそれを強調、誇張したと客観的にみるのが、
全人類に受け入れられる冷静で妥当な見方だ。
卑弥呼の死直後から作られ始めた漢訳経典が、
繹迦が説いた
「アヴァ ロキ テスヴァラ」 を
卑弥呼のマレー語名カシイ菩薩と訳したばかりでなく、
彼女の大日霎の貴伝承まで取り入れて観音の広大な功徳の形容に用いた。
これが現時点での動かぬ結論である。
※出典:加治木義博「言語復原史学会・大学講義録22:5~6頁」
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