2012年3月23日金曜日
カボチャ
《カボチャ》
「カボチャ」
ウィキペディア百科事典によれば
「カボチャ(南瓜、英名:Pumpkin、Squash)は、
ウリ科カボチャ属 Cucurbita に属する植物のうち食用とされるものの総称。
原産は南北アメリカ大陸。 果実を食用とする。
「カボチャ」という語はポルトガル語の Cambodia abóbora (カンボジャ・アボボラ、
「カンボジアのウリ」の意)の後半が略されたもの。
逆に前半を略してボーフラあるいはボボラと呼ぶ地方もある。
また、「南瓜」は「南京瓜」の略であるという。
「唐茄子(とうなす)」
「南京(なんきん)」という呼び名も使用されることがある。
なお、北米では英語でパンプキンと呼ばれるものは
果皮がオレンジ色の種類に限られ、
その他のカボチャは全てスクァッシュと総称されるため
日本のカボチャは「カボチャ・スクァッシュ」と呼ばれるが、
オーストラリアなど他の英語圏ではこの限りではない。」と書かれている。
※出典:Wikipedia:カボチャ
中国では、野菜のカボチャを「倭瓜(wo kua)」と呼ぶ。
その変わった瓜は日本産で、
日本から輸入したものだと思われているのである。
だが注意がいるのは、
それが近世に日本から中国にはいったものなら、
それは「日本瓜」と呼ばれ、
中世以前にはいったものなら「大和瓜」か「夜麻土瓜」と
呼ばれたはずなのに、
なぜ『倭瓜』と呼ばれているのか…という点である。
日本ではそれはカボチャと呼ばれている。
面白いのはそれが関西で「ナンキン」と呼ばれていることである。
ナンキンとは「南京」のことだから、
こちらでは中国から来たとしている。
まるで正反対なのが面白いのである。
だが『魏書東夷傳倭人章』にはカボチャの記載がなく、
倭国時代にも日本では栽培していない。
カボチャとはカンボジャのことだというのは常識だ。
ウパイが東南アジアでウバイになり、
それも中国に入って優婆夷と当て字されているので、
当時の相互交通がわかる。
それがさらにウワイになり、ゥォになった。
倭瓜の発音が「ゥオクワ」なのは、
倭が日本で「ゥオ」と呼ばれるようになった後、
その発音が中国南部に定着した時代に
倭人が提供したカボチャが中国で
「倭瓜:ゥオクワ」という名で定着した。
それは『魏書東夷傳倭人章』時代以後で、
当時寒冷だった関西には温暖化が進んだ後世になって
南京経由で逆輸入されたとわかるのである。
※出典:加治木義博「言語復原史学会・大学講義録7:15頁」
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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