2012年3月11日日曜日
変化観音(へんげかんのん)
《変化観音(へんげかんのん)》
「変化観音(へんげかんのん)」
卑弥呼という当て字は、
パーリ語を使う人々が呼ぶ彼女の愛称『ペマカ』の発音を写した上に、
後に観世音と訳された「 アヴァ ロキ テスヴァラ 」の真意を、
見事に重ね合わせて表現する漢字が選ばれていたのである。
そしてまた『ペマカ』のマレー語訳である『カシイ』も、
彼女らの廟の名『香椎』ばかりでなく、
『光世音』『観世音』という当て字で使われていた。
彼女が観世音思想讃仰した仏教々主だったことは絶対に動かない。
しかしこれでもまだ納得がいかない方のために、
次は視点を観音信仰だけがもつ独特の、
『変化(へんげ)観音』問題に移してみよう。
しかし本講は私の観音研究発表の場ではない。
史実復元に必頚の「立証方法の手ほどき」が自的なのだから、
特に必要なものだけご先に入れる。
我が国には「三十三応身」などといって、多種多様な変化観音があるが、
それらはすべて後世の創作であって、
最初は、多種多様な観音がいるなどと説かれていたわけではない。
そのことは アヴァ ロキ テスヴァラ という言葉が入っている経典中、
最初に漢釈された『平等覚経』
(魏の甘露3年 258年=卑弥呼の死後10年には
帛(はく)法祖=帛(はく)遠、本名=萬遠=ハノイ出身の僧=が完訳した)では、
この言葉は単なる一菩薩として扱われ、
複数の変化菩薩があるなどとは想像すらしていないことでも、充分証明されている。
『変化観音の代表者とその漢訳経の生まれた時期』
変化名 政権 初訳年 西暦 経名 訳者名
1 楊柳観音 東晋 元興?年 40? 請観世音菩薩消伏毒害陀呪経 竺難提
2 十一面観音 隋 大建3年 573 仏説十一面観世音神呪経 耶舎崛多
3 不空羂索観音 隋 開皇7年 587 不空羂索呪経 闍那崛多
4 千手観音 唐 武徳5年 622 千手観音図像 インド・マラヤ僧 矍多提婆
5 千手観音 唐 貞観23年 649 千眼千臂観世音菩薩陀羅尼神呪経 智通
6 馬頭観音 唐 永徽4年 653 何耶掲喇婆観世音菩薩法印呪品 阿竺達三蔵
7 准胝観音 唐 儀鳳元年 676 仏説七倶胝仏母心大准提陀羅尼経 地婆訶羅
8 聖観音 唐 長寿2年 693 観世音菩薩如意摩尼輪陀羅尼経 寶思惟三蔵
9 如意輪観音 唐 長寿2年 693 観世音菩薩如意摩尼輪陀羅尼経 寶思惟三蔵
10 香王観音 唐 神竜元年 705 香王菩薩陀羅尼経 義浄三蔵
11 青頚観音 唐 景竜3年 709 青頚心陀羅尼経 菩提流志三蔵
12 多羅観音 唐 開元20年 732 仏説観自在多利心菩薩経 金剛智
13 葉衣観音 唐 大暦5年 770 葉衣観自在菩薩経 不空
注)
難提(アナンダ)
闍那(ジャナ)
矍多提婆(コータデバ)
地婆訶羅(チーバカラ)
何耶掲喇婆(ハヤグリーバ)
如意摩尼輪陀羅尼(ニョイマニリンダラニ)
※出典:加治木義博「言語復原史学会・大学講義録22:9~10頁」
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