2012年4月25日水曜日
六合「くに」
《六合「くに」》
「六合「くに」」
天照大神の誕生の記事によれば、
卑弥呼は沖縄の伊是名(いぜな)島で生まれましたが、
彼女は
「光華(こうか)明彩で六合の内に照り徹(とお)っていた」
と書いてあります。
そのため両親である
伊是名王(イザナキ)、
伊是名女(イザナミ)の神が、
こういったと書いてあります。
「わが子はたくさんいるが、
こんなに霊異な児ははじめてだ!……ここに永く置いてはいけない。
早く天に送って天上の仕事をさせよう!……」
これが「大日霎貴(オオヒルメノムチ)」で、
一書には「天照大神」と書いてある、
という書き加えもありますから、
のちに天照大神になった卑弥呼に一致するのです。
この[六合(りくごう)]とは
中国では本来、四方、八方といった方角を示す言葉なのですが、
日本では『記・紀』以後[国・天下]の意味で使われているとみると理解できます。
[神武紀]にも「六合の中心か」という言葉が、
やはり[国]の意味で出てきますし、
太安万侶(おおのやすまろ)が書いた
『古事記』[序文]にも、
「乾符(けんぷと)を握(と)って六合を總(す)べ」という文章がありますが、
これも日本の国のことです。
古代日本人は国のことを[六合]と呼ぶ習慣をもち、
それを不思議とも思わずに、
ふつうの言葉として常用していた。
一体なぜ[六合]を「くに」の意味に使ったのでしょう?。
卑弥呼当時の呉には[六合県]という県がありました。
それは沖縄から東シナ海を隔(へだ)てた「向い側」です。
日本語の[コチラ]は[高津国]を沖縄から大隅の訛(なま)りで
「コチラ」と読んだものに一致することがわかっています。
この[コチラ]と相対的な言葉[ムコウ]も、
同じ沖縄で生まれているはずですから、
そこから海をへだてた向い側に=六合県]があるとしたら、
[六=ム][合=コウ]で、ぴったり[向こう]と同じ発音になります。
そして事実、
その六合県は沖縄からみて完全に「向こう」といえる位置にあるのです。
この二つの日本語は、
間違いなく沖縄生まれであり、
その人々は[六合県]の存在をよく知っていたということになります。
そしてそれは単に知っていたというだけではなく、
もっと強く親しみのある知り方です。
日本語で[クニ]といえば、
「クニのおっ母(か)さん]
[クニヘ帰る]の
クニは[故郷=出身地]のことです。
[六合]は[国家]の意味ではなく、
[故郷]のことで、
その言葉を使った人々は[六合県出身者]だったということがわかります。
※出典:加治木義博「日本国誕生の秘密・徳間書店:163・164頁」
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