2012年4月17日火曜日

稲作文化:ウッタラと銅鐸



 《ウッタラと銅鐸
 「ウッタラと銅鐸

 ウィキペディア百科事典によれば

 「銅鐸(どうたく)とは、弥生時代に製造された釣鐘型の青銅器のこと。

  主に近畿地方の遺跡から出土している。

  大きさについては12センチから1メートルを越すものまである。

  当時の家屋など弥生時代の習俗の様子を描いた

  原始的な絵画が鋳出されているものもある。」

 と書かれている。

 ※出典:Wikipedia:銅鐸
     
 「銅鐸」というのは現代の考古学が仮につけた学名だから、

 古代からあった名前ではない。

 古代には何と呼ばれていたか。

 ウッタラが使った言葉はパーリ語だから、

 金属製で宗教用の打楽器には銅鑼(どら)、鐃鈸(ねうはち)、鼓(つつみ)などを意味する

 alamba アーラムバ、alambara アーラムバラ=太鼓などがある。

 ところがalambati アーラムバチと変化すると、

 「ぶら下がる・懸(か)ける」という意味になる。

 銅鐸はその上部の形からみて、

 間違いなく「ぶら下げる」構造になっており、

 下に置いたのでは鳴らないのは明白である。

 そしてアーラムバチの「バチ」は、

 打楽器を打つ「ばち」と同じで、

 鐃鈸(ねうはち)の「ばち」でもある。

 また昔の僧侶などが、

 門(かど)づけをする際には鐘を叩いて鳴らしたが、 

 それを鐘叩きとはいわずに「鉢(はち)叩き」といった。

 このハチもまたウッタラ時代のアーラムバチの遺物だとみられる。

 こうみてくると植木鉢は銅鐸を逆さにした形と共通牲が多く、

 鉢というのは底のある食器だけとは限らないことに気付く。

 そして打楽器というものは
 
 「打ったら鳴るが、打たねば鳴らない」その「打ったら鳴る」

 銅鐸がウッタラの持ってきた聖器だったのだから、

 「打ったら」という日本語の語源がこの「ウッタラ」に結びつく。

 銅鐸以前には打楽器は見られないから、

 これらの複数の日本語は、ウッタラと銅鐸が残した言語遺物。

 ウッタラに関連する話は関東以北に多く残る

 「ダイタラポッチ」の伝説である。

 彼は肉体の大きな巨人とされるが、必要なのはその名である。

 この名は地域で多少変わるが、

 「大太良坊」や「大太法師」と書かれるのをみると、

 「ボッチ」は「法師」または「坊主」であって仏教に関係のある存在である。

 ソナカとともに東方へ派遺された宣布団の、

 もう一人の指揮者「ウッタラ」の名が浮かんでくる。

 南九州では「大」は「ウ」と発音する。

 「大太良」はぴったり「ウッタラ」に一致する。

 この奇妙な巨人の名は、

 ウッタラも日本列島へ来ていたことを、

 あらゆる点で教えるが、時代が早く、

 地域が記録に残りにくい東国だったために、

 僅かに童話的な伝説しか残らなかった。

 彼はあらかじめ協議の上、

 寒地を担当するために寒地向きの稲を準備していたと考えると、

 熱帯アジアを次第に東遷したソナカらより、

 早期に日本列島まで到達して布教していた。

 それが卑弥呼より前の弥生前~中期に銅鐸などを考案して

 信仰とともに稲作を教えた人々の正体だったのである。

 銅鐸に描かれた渦状文は水稲の母=水を意味し、

 蜘蛛やカマキリは害虫を退治する味方で、

 狩猟のように見えるのは稲を食い荒らす害獣の駆除法で、

 籾を臼でついて収穫するまでの「絵解き読本」だとわかる。

 弥生時代の銅剣型祭器の分布はその後、

 四国西端から瀬戸内沿岸、中国地方へと広がって、

 中国以東の銅鐸分布圏とぶつかり次第に重なって行く。

 銅鐸も弥生時代の画期的な祭器で、

 ギリシャ教とは別の宗教が、

 やはり「冥界=銅」という思想を受け継いでいたものとみる必要がある。

 当時そんなことが可能だった存在は、

 インドでギリシャ文化に洗礼された仏教宣布団のウッタラ長老達しかなく、

 どう視点を変えても銅鐸は彼等が考案した仏教用具、

 「初期の釣鐘(つりがね)」だったとみる以外ない。

 銅鐸の絵画を分析すると

 「トカゲ、蛙、トンボ、カマキリ、クモは

  稲の害虫を食う益虫で、

  ヘビ、魚はそれを食う敵、

  サギや鶴は魚を食べる益鳥、

  鹿や猪は稲を荒らす敵、敵は生物であっても

  道具で捕らえ、犬や弓矢で退治て食べてもいい。

  稲は高倉に蓄えて、臼と杵で搗(つ)いて食べる。

  こうした文明は私たちが敵と戦いながら、船で苦労して運んできたものだ」と解け、

 すでに明かになった歴史と、

 インドと周辺諸国での仏教用具発達史とを総合して考えると、

 最終的結論は、

 ギリシャ信仰から仏教へ人々の信仰を変えさせた流れに合わせて、

 ウッタラ達が工夫した

 「読経祈祷用の伴奏楽器」兼

 「水稲稲作教育用具=生物連鎖の重要牲を教える輪廻転生、殺生戒教育用具」兼

 「音響通信器具

 だったというのが最も正しい結論だ。

 ※出典:加治木義博「言語復原史学会・大学講義録33:22頁」
          「言語復原史学会・大学講義録21:28頁」
          「言語復原史学会・大学講義録24:9頁」
 
 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
 『言語復原史学会:画像』

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 《参考》
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
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