2012年4月25日水曜日

麒麟



 《麒麟
 「麒麟

 ウィキペディア百科事典によれば

 「麒麟(きりん)とは中国の伝説上の動物。

  鳥類の長である鳳凰と並んで、獣類の長とされる。」と書かれている。

 ※出典:Wikipedia:麒麟
     
 麒麟は牡が麒で、

 牝が麟だとされているが、

 黄と麒はどちらも「キ」という発音をもっている。

 ただし黄を<キ>と発音するのは日本語だけ、

 これも、

 この五彩圏鏡は我が国の『五彩圏』文化が中国に入った後の作品だという証拠で、

 隋唐はギリシャ系大隅人が支配した国だったという強力な証(あか)しなのである。

 麒麟は腹が黄色、

 それが背の方へ次第に光沢を増して玉鱗になるとしている。

 その姿は、

 ビールの商標になっているお陰で、

 我が国では誰でもよく知っているが、

 その足は鹿や馬と同じ偶蹄(ぐうてい)類のもので首が長い。

 そこで始めてアフリカ産の獣・ジラフを見た日本人が、

 それにキリンという和名をつけた。

 ところが今それをみると、

 ジラフは黄土色、

 すなわち黄色の毛をもった唯一の偶蹄類なのである。

 この命名は偶然とは思えないほどで再考の余地がある。

 もっとも我が国の動物園で普通に見られるのはアミメキリンで、

 褐色の四角い斑点が大きくて、

 肝心の地色の黄は細い網状になり、

 褐色の方が地色のように見えるが、

 ケニアにいるマサイキリンは斑紋が不規則で網目になっていないから、

 肌色は黄色だとよくわかる。
 
 麒麟は、

 あくまで中心がギリシャであることを表現するための、

 ギリシャ系大隅人たちの着想だった。

 では、それにアフリカのジラフは、関係しているのだろうか?。

 もちろん日本列島の原日本人も、

 古代中国人もアフリカ産のそんな獣は知らない。

 中国製の麒麟像がジラフと懸(か)け離れているのは当然だともいえる。

 しかしエジプトの首都をアレクサンドリヤにもつギリシャ人は、

 ジラフについても幾らか聞いていて、

 黄色くて首の長い偶蹄類だという程度の知識はもっていたから、

 それに想像を交えて異様な麒麟に仕立てることもできる。

 異様ではあるものの多くの点でジラフとの共通点が多い麒麟像は、

 ギリシャ人の発想で完成したと見るしかない。

 そうすると日本を起源とする

 『四神』と『五彩圏』が、

 後世の隋代に造られた銅鏡に明瞭に存在する理由が、より明確に納得できる。

 またそれが架空のものでも、知識があったことは間違いない。

 ※出典:加治木義博「言語復原史学会・大学院講義録19:20~22頁」


 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
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