2012年4月3日火曜日

かわべ・かんなべ(川辺・河邊・河辺)



 《かわべ・かんなべ(川辺・河邊・河辺)
 「かわべ・かんなべ(川辺・河邊・河辺)

 A.C.E.247 この頃鹿児島県川辺郡(灌奴部(かんなべ))の知覧(ちらん)

       古代新羅「鶏林(ちりん)」が都する。

 注)灌奴部(カンナブ)この部族の名を取った道具がある。

 カンナ(鉋)である。

 こうした道具が現れたのは、鉄器時代に入ってからで、

 この名が部族名と道具名の双方に合うのは、

 その発明者で、供給者だったからである。

 『魏書・辰韓章』には

 「この国は鉄が出る。

  韓・濊(わい)・倭人が自由にそれを取っている」と書いてあるから、

 その鉄で鉄器を作る仕事が始まっていた。

 もちろんそれ以前から青銅器も作っていた。

 その担当者がこの[金の部=カンナブ]の人々だ。

 なおその当時のカンナは現在のようなものではない、

 大きいノミのような[やりガンナ]といわれるようなものが

 当時の文化財としてたくさん出土している。

 だから刀剣以外の木を削る道具をカンナと呼んだのである。
 
 中国地方は山地に[カンナベ・カンナビ]という地名が残っているが、

 川辺も[カンナベ]と読めるので、この人々の移動の跡がたどれる。

 摂津の国の西端は川辺(かわべ)郡であることに注意がいる。
 
 なぜなら今は発音が少し違うが、

 全く同じ文字の川辺(かわなべ)郡が

 やはり鹿児島県にあるからである。

 『倭名類聚鈔』を見ると、

 双方とも「河邊郡」で、発音も「加波乃倍=カハノベ」と同じ仮名がふってあるから、

 全く同じ地名だったことがわかる。

 河野をコウノと発音することを考えると、

 この河邊は「コウベ」とも発音できるから、

 古代には今の神戸市域も、この河邊郡の一部だった可能性が高い。

 河邊=コウナベだから当て字を変えると「高国部(コウナベ)」。

 これは南海の高族と高句麗とに属した人々である。

 東国にみる倭国政権移動(河辺・川辺)の痕跡は

 遠江の国:河辺

 美濃の国:川辺

 常陸の国:川辺

 陸奥の国:河辺

 がある。

 ※出典:加治木義博「JINMU・KKロングセラーズ:174頁」
          「YAMATO・KKロングセラーズ:161頁」
          「言語復原史学会・大学講義録17:27、28頁」

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 

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 《参考》
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