2012年4月19日木曜日
稲作文化:「大・小=フトカ・コメ」
《「大・小=フトカ・コメ」》
「「大・小=フトカ・コメ」」
これで弥生前期に弘前まで誰が水稲稲作を広めたか、充分よくわかったが、
今度は、熱帯水稲はインドからだけ入ったのではないことと、
その稲の種類については、
私たち本土人は食べる部分の稲の種子=「米」をコメと発音するが、
沖縄の人は「クミ」と発音する。
そして沖縄にある久米島も「クミ」島と呼ぶ。
その久米を本土人は「クメ」と読むが、
東南アジアにはクメールという人々が、
古来強力な種族を形成していて、もちろん稲作人種である。
言語の共通性も久米の名も、米をわざわざ「クミ」と呼ぶことも、
全てが沖縄への稲作の運び手の中に、クメール人がいたことを物語っている。
だがここではどこから来たかが問題ではない。
南九州語では「コメ」というのは「小さい」という意味である。
これの対象語「大きい」は「フトカ」という。
だから「コメ」はクメールから来た稲で小粒であり、
そのほかに「大粒の米」があったことになる。
その米は誰がもって来たのか?。
答はその名にある。
「フトカ」は漢字で書くと
「浮屠家」で仏教人をいい、ホトケの語源でもある。
南九州語の「大・小=フトカ・コメ」は、
古代からあった形容詞ではなくて、
稲作が各地から入って来て、
その米粒の大小から新たに生まれた日本語だったのである。
これもまた仏教徒が稲作をもって来た動かない証拠であり文化財なのだ。
※出典:加治木義博「言語復原史学会・大学講義録21:30頁」
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