2012年2月21日火曜日
歴史年表(1)ギリシャ人の来た時間帯
《ギリシャ人の来た時間帯》
《ギリシャ人の来た時間帯》
B.C.E
1523 中国に殷人の商帝国誕生
660 この頃 インドにマガダ国ほか16大国生れる
『日本書紀』の「神武天皇紀元」に一致
327 アレクサンドロス、北インド征服
322 新マガダ国のマウリヤ王朝誕生
チャンドラグプタ王はギリシャ王女と結婚
273 アソカ王(チャンドラグブタ王の孫)即位
250 その王子・マヒンダ、スリランカ布教(南進)=崇神天皇の四道将軍伝承のモデル
244 アソカ王仏典結集
四道に仏教宣布団派遣、東方へはソナカとウッタラの2布教団が出発(西北東進)
219 徐福、ホーライを尋ねて南海へ行く
すでに台湾にギリシャ人居住という証拠
183 マウリャ王朝滅亡
168 マケドニヤ滅亡
150 この頃 サカ人(釋迦の一族)インド侵入
146 カルタゴ滅亡
140 烏孫、西域の月氏国を取る
大隅ギリシャ人の発展拡大の尖瑞部
70 烏孫、敦煌周辺で月氏に敗れ、残党は南下して長江を下る
37 高朱蒙(コスモ=世界王)高句麗建国(古代カリエン人勢力との融合)『三国史記』
30 クレオパトラ自殺
27 ギリシャ本国はローマ帝国の属州になる
高句麗、北沃狙を滅ぼす
「五彩圏」連邦の拡大期
A.D.
8 前漢滅ぶ
破壊者・王莽、帝国「新」と自称
14 高句麗、前漢が領土にしていた高句麗県を奪い返す
21 高句麗、扶余(夫余)を討つ
25 後漢建国
45 鳥丸、鮮卑、匈奴が漢の支配領域に侵入する
隋・唐帝国の芽生え
47 当時、ギリシャ人がローマとインド間の海上貿易に従事していたという記録
56 高句麗、東沃狙を討つ
57 倭の委奴(イノ)国王、後漢の光武帝から「漢委奴国王」の金印を受ける
(福岡志賀の島出土)
68 後漢に最初の寺・白馬寺建立
これはアショカ宣布団とは直接の関係はない
91 北匈奴、後漢に敗れ、次第に瓦解し、その後にギリシャ系倭人の集団=鮮卑が侵入して
次第に 強大になり、その鮮卑が後に隋を建国し、唐に変身して中国を支配する
107 倭国王帥升(スイ・サヌウ=スサノオ=高句麗王・位宮も同じ名乗りだ)後漢に朝貢。
166 ローマ王アントニウスの使者、後漢政府に来訪
当時のローマ貨幣はべトナムでも発見
後漠の桓帝と霊帝との間に、倭人連邦の中で大乱、卑弥呼、女王に共立される
191 呉の孫堅、首都・洛陽に入る
後漢政権有名無実になる。
『三国志』時代の開幕
※出典:加治木義博「言語復原史学会・大学院講義録19:17~24頁」
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