2012年2月18日土曜日

台湾のアミ族



 《台湾のアミ族


 ウィキペディア百科事典によれば

 「アミ(Ami, 中国語:阿美族。別名:パンツァハ、パンツァ、Pangcah)は、

  台湾原住民のなかで一番多い14万8992人(2000年の調査による)の人口規模を持つ民族集団。

  台湾原住民の総人口の37.5% を占めている。

  居住地域は台湾の東部一帯、花蓮県・台東県・屏東県に亘る広い範囲である。

  主に平地に集落を構え、

  中央山脈と海岸山脈(東岸山脈)の間にある細長い渓谷地域(花東縦谷)、

  その両端の花蓮市や台東市周辺の平野部、海岸山脈の東側の太平洋沿いの平地、

  台湾南端の恒春半島に住んでいる。また台北市や高雄市など、

  台湾各地の大都市にも拡散しており、「大都市の原住民」の多くを占めている。

  アミ族はコメなどの農業やブタなどの畜産で生活し、海岸部では漁業を営んでいる。

  伝統的な集落は他の原住民の集落に比較して大きく、

  500人から1000人規模が典型的である。

  また花蓮や台東、あるいは遠く離れた台北や高雄で都市生活を送る者も多い。

  花蓮県瑞穂郷の舞鶴には石器時代の遺跡があり、

  その二本の石柱はアミ族の発祥神話に関連付けられておりアミ族発祥の地とされている。」

 と書かれている。

 ※出典:Wikipedia:アミ族
     
 3000年前に台湾・沖縄を中心に宝貝貨幣を世界に供給して栄えた琉球。

 その中核だったのが、<バビロン>から来たカリエン=和人=高麗人でした。

 彼等は<エラム>出身者は永良部島といったふうに、故郷の名を新居住地に残しています。

 それに続いてやってきたのがギリシャ人たちで、

 彼等はインド系の住民から「ヨーナ」と呼ばれて与那国島の名を残し、

 <アテナ>出身者は嘉手納(かてな)、<チラナ>出身者は知覧の名を残すというふうに、

 「地名文化財」を南九州から南西諸島の至るところに残しました。

 その中でも最大のものが台湾で、

 「タイワン」というその名もギリシャ人が「タイナロン」として

 記録しているものの遺物だったのです。

 「台湾に現存するギリシャ系倭人(アミ族)

 後からきた侵入者に追われて山地に住んでいる人々の中にはギリシャ系倭人たちがいる。

 その容貌、服装、家屋、言語、土器など実に多くのものが、

 その古いルーツがインド経由の地中海人だったことを示している。

 「臺」はウティナで沖縄のこと。

 「湾」はワニで「倭人」の唐代以後の読み方。

 ここはその頃[小琉球]と呼ばれていた。

 だから、[台湾]とは[琉球人の国」という意味なのだ。

 そして『ヒミコ』でお話しした

 ヒメゴソとオオヒルメが「太陽の光で身ごもった」というあの

 『阿具沼伝承』も『かぐや姫』の原話も両方とも台湾に現存するお話の中にある。

 沖縄には今もアイヌ系の人たちと体格、顔かたちが非常によく似た人が多い。

 また昔、沖縄が流求(りゅきゅう)と書かれていたころ、沖縄は「大リュウキュウ」と呼ばれ、

 その支配下にあって「小リュウキュウ」と呼ばれていた大きな島がある。

 台湾である。

 そこには昔のアイヌ系の婦人が、自分たち一族の誇るべき習慣として、

 口の回りに入れていた大きな「入れ墨」と完全に同じ入れ墨をしている

 <アミ>と呼ばれる人々が今もいる。

 アイヌ系の人たちとアミ系の人たちは、そのほかにも口でくわえて演奏する

 口琴(ムックリ)など多くの同じ文化をもっていることが分かった。

 (加治木義博著『日本人のルーツ』保育社カラーブックス1983年参照)

 忘れてならないのは「三母音」というのは、マレー語の特徴だということである。

 沖縄民謡がインドネシアのメロディに非常によく似ていることは、昔からよく知られているが、

 曲だけでなく歌詞の発音もまたよく似ている。

 古代にマレー語を話す人たちが沖縄に住んでいて、その言葉が今まで残っていることは、

 どこからみても間違いない。

 またカリエンの人たちの都は今も花蓮(カリエン)港と呼ばれ、

 「鬼道=アショカ仏教」の子孫も現存している。

 台湾はソナカ仏教宣布団の重要拠点となり、

 ギリシヤ系インド人の子孫であるアミ族の人々やその系列に入る部族の人々が今も住んでいる。

 台湾は『後漢書』や『太平御覧』が注記に引いている

 3世紀の呉人・沈瑩(チンエイ)の

 『臨海水土誌』が書かれた当時から17世紀の明未まで「流求=琉球」と呼ばれていた。

 しかし後半は「小流求」になり、沖縄が同時に「大流求」と呼ばれたから、

 沖縄の支配下にあったことがわかる。

 『明史稿』の「鶏龍伝(キールン)」=基隆(キールン)は、平地アミ族の記録だが、

 勇を尊び奔馬のようにマラソンして一日百里を走る。

 男女とも髪を丁髷(ちょんまげ)に結い男は裸体で戦闘を好み、

 勝者も死者も共に讃える……」などと

 古代ギリシャ人+日本人に似た風俗を伝えている。

 台湾のアミ族タイ山地のアカ族は華麗な冠(かぶ)り物で知られるが、男性はみすぼらしい。

 リス族カレン族も同じで、

 ジョカジョカジョやスプー、サンといった三味線に合わせて女性が踊る。


 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 

 『My ブログ』
 古代メソポタミア
 歴史徒然
 ウワイト(倭人):大学講義録
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 《参考》
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
 最新の考古学的発掘の方法
 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状

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