2012年2月1日水曜日
牛頭天王
《牛頭天王》
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ウィキペディア百科事典によれば「牛頭天王(ごずてんのう)は、
もともとはインドの祇園精舎の守護神といわれる。
単に天王といえば、牛頭天王をさすことが多い。
備後国風土記には武答天皇の太子として登場し、牛頭天皇と表記される。
日本の神素盞鳴尊と習合した。」と書かれている。
※出典:Wikipedia:牛頭天王
牛の頭をもった姿で表現される神。
牛はインドで非常に役立ち、
人間は牛によって大きな幸福を与えられているという気持ちがもとになって、
尊敬から信仰が生まれ、シバ神の乗物とされたが、
やがてシバ神そのものの変身と見られるようになり、
シバ神が牛の頭をもった姿として表現された。
日本では古来、スサノオノミコトが牛頭天王だとされ、
韓国にも牛頭山(ソシモリ)の旧跡が遣っていたし、
各地に牛頭の地名が現存する。
これはシバ信仰がミコトたちの宗教であったことを反映したもので、
祭る者が死後、祭られる者になる仏教と同じく、
インド型の宗教の特徴を示している。
シバ神は天地の主(あるじ)とされ、また嵐の神ともされる。
スサノオもまた嵐神である。
日本神話に多くのインド要素があり、
神々に共通点が多いことは日本人のルーツ探しの重要な手がかりになるのである。
牛への崇拝はインドよりも古イランで始まっていた。
そこでは数多くの牛の像が出土している。
日本では天神社と牛像は切ってもきれないが、
天神すなわちシバ神であって、
そこに牛像が祀られていたのは当然である。
菅原道真の車を引いた牛だという考え方はいかがなものであろうか。
牛頭をもった神が、ヒンドゥのシバ大神であることは、
世界の学者が認めている。
その神像はすでに6000年前のインダス文明期に、
印章に彫られてモヘンジョダロから出土している。
このことから、私たちが考えるスサノオノミコトと牛頭天王が同一人物でないことは、
はっきりしたと思う。
スサノオノミコトは今すこし後世の人物をモデルにしたところがある。
八俣大蛇退治がギルガメシユ神話をうけついでいることはすでにみた。
しかしギルガメシユが二本の角をもっていたという話はこれまで見つかっていない。
ところが、はっきりした実在者で、二本角のある人という仇名をもった有名人がいる。
それはアレクサンドロス大王である。
彼はツルカルナイン(二角人)という愛称で呼ばれ、
実際に角の生えた肖像を銀貨などに残している。
彼が紀元前327年にインドに遠征して、
ナンダ王朝を滅ぼしたのは周知のことで、
その5年後にマカダ王国がインドに誕生した。
マケドニア出身のアレクサンドロスとマカダの名は無関係ではあり得ない。
『日本書紀』は崇神天皇の時、
ツヌカアラシトという王子がやって来たと書いている。
これは「角がある人」と読め、
<カ)と<ア>をくっつけて読むと「角カルニン」とも読める。
朝鮮の人は<ラ行>を<ナ行>で発音するから、
<ツヌ>は<ツル>だったとすると「ツルカルナイン」とほとんど同名である。
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