2012年2月7日火曜日
黄泉戸喫(よもつへぐい)
黄泉戸喫(よもつへぐい)
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国家というのは、単に土地を占拠すればいいというものではない。
そこに住む国民がいて、何かの産業に従事し、
その経済力を活用せねば王も軍人も役人も、
その国を維持して行くことはできない。
たとえ敵には負けなくても、滅びてしまう。
しかしどんなに原始的でも経済活動には、利害が相反するジンクスがつきまとう。
労働は時間と体力と資本を消耗する損失であり、
その結果得られた収穫の代価=収入がその損失を上回らなければ永続きしない。
その体制は滅びてしまう。
けれども代価を払わずに収穫を奪い去る盗賊がいる。
ところが古代社会を支えていた農水産業は、
広い面積の土地や水域から収穫するしかないから、
不眠不休で見張っているわけにはいかない。
常に盗まれ、紛争が起こる。
それを防ぐには強奪者を捕らえて処罰する強い警察力がいり、法律がいり、
それらを支える権力と給与がいる。
さらに必要なのは侵略者を撃退する兵力で、
これらがなければ国民が従わないから、
国家も政権も成りたたない。
だがそれには国家の構成と、
不正を処罰する根拠になる法律と税収がなければならない。
いま私たちがここでお話ししている「建国」の時代とは、この法と力が備わって、
国民がそれを認知した時、ということなのだ。
古墳時代の甲冑(鎧兜)はギリシャ式の立派なものが出土しているから、
武力で優勢だったことは確かだが、
応神天皇たちはそれ以外に法律をもっていたのである。
これまでは聖徳太子が定めた十七条憲法が、我が国法制化の最初だと教えられてきたが、
それはこの建国の条件を考えると、根本的に間違っていたことがわかる。
成文化したものが見つからないだけで、法律のない国家というものは考えられないからだ。
允恭天皇が、氏姓を偽っている国民を摘発するのに、
手を熱湯に入れさせたという「探湯(くかだち)」は古代法の施行例の1つであって、
そうでなければ国民は、そんな裁決方法を承認しない。
倭国には当然、そうした法律があったのである。
その事実を伊弉諾・伊弉冉2尊の物語も、また明快に立証している。
それはいっ?、何処で?、生まれた法律だったか?。
イザナギはイザナミを連れもどそうと黄泉国(よみのくに)へ行って、
妻に地上へ戻ろうと誘うと、
妻は「私はもう黄泉戸喫(よもつへぐい)をしてしまったので戻れない」と、
夫が早く迎えに来なかったことを、強く非難する。
在来の学者はこれを単なるお伽話の一節として、何の考証もしていないが、
この話が、古代日本に法律があった事実と、
その文化の源がどこかを記録していたのである。
それはもういうまでもなく、古代ギリシャの法律だったのである。
しかしこの話の原話がギリシャ神話中の
「オルペウスの冥界降だり」であるからというのではない。
オルペウスとこの話は細部ではだいぶ違っている。
ただ着想だけを利用して、実際にあった歴史を巧みに表現したものが、
伊弉諾の尊の「黄泉(よみ)の国、降だり」だというのが正しい。
ギリシャの黄泉(よみ)の国の王・ハデスは、
ゼウスと収穫の女神・デメテルとの娘・ペルセボネを誘拐して黄泉に連れて行った。
デメテルはゼウスに娘を取り返すように裁きを求めたが、
ゼウスは弟にワイロを貰っていて、妻の頼みをきかない。
デメテルは怒って大飢饉を起こす。
困ったゼウスは
「ペルセポネが黄泉で何も食べていなかったら連れ戻せるが、
もし何か食べていたら、所属を決める古来の法律によって、
ペルセポネはハデスの客ということになり、ハデスの妻になるしかない」
という裁定を下した。
ところがデメテルに恨みをもつ庭師が、飢えと乾きに苦しむペルセボネに、
水々しいザクロを与え、彼女はそれを食べてしまった。
ハデスはオリンボスの法廷で、
その事実を証拠に「彼女は私の正当な妻だ」と主張したので、
デメテルは敗訴してしまった。
この古代ギリシャの珍しい法律が、
そのまま伊弉冉尊説話でも
「黄泉戸喫(よもつへぐい)。戸=国籍」の法律として使われ、
国民を納得させていたのである。
従来は、ギリシャ神話の高度に知性的な内容に比べて、
日本神話は、「なんと貧弱な子供だましの神話か」と、海外で蔑視されてきた。
しかしこの例の他にも多数の実例が見つかり、
『記・紀』の内容は当時のギリシャと同じ文化と知性をもち、
それを現実の歴史に当てはめて、
人の守るべき道を教え、
高度の政治経済の原則を、
為政者たち読む者に伝えようとした実に優れた教科書であり、
優れた文学作品だったことがわかったのである。
『記・紀』は
「こういう事件は、こう裁くのだ」という判例集でもあり、
『聖徳太子憲法』以前に実在した我が国の『憲法』を教える、
「具体的法令集」でもあったのである。
だから、雲の上というより庶民的といった方がいい恋愛や、
お家騒動や愚行、暴行が網羅されていて、
天皇家にとっては、決して愉快な文化財ではない。
しかしそれを「帝王学」や「政治学」の教科書として観ると、
実に赤裸々に人間像を描き出していて、
正邪善悪の実態と国民の眼を強く意識させるようにしてある。
『記・紀』は対外宣伝用には不向きなほど、恥部をさらけ出していて、
真実こそが生命である歴史記録としても、理想的なものというほかない。
だからそれは実に高い知性の産物である。
この高さが、皇室を現代まで永続させた第一の要因だったのだ。
『記・紀』は本当の意味で
私たちの「至宝」、人道の『聖書』なのである。
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