2012年2月12日日曜日

仏足石(ぶっそくせき)



 《仏足石(ぶっそくせき)

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 ウィキペディア百科事典によれば

 「仏足石(ぶっそくせき)とは、

 釈迦の足跡を石に刻み信仰の対象としたもの。

 古いものは紀元前4世紀に遡るとも考えられている。

 また仏足石は釈迦のものとは限らず、シバ神の足跡も信仰の対象とされている。

 両足を揃えたものがより古い形式のもので、

 片足のものは比較的新しく紀元後のものと考えられる。

 実際の足跡ではなく三十二相八十種好の説にもとづいて、

 足下安平立相、足下二輪相などが刻まれていることが多い。

 古代のインドでは釈迦の像を作らず(仏像)、

 その代わり仏足石や菩提樹などを用いた。」と書かれている。

 出典:Wikipedia:仏足石
    
 「大太良法師」が仏教と無関係だと思う人は、

 彼の話のヤマが「巨人の足跡」だという事実を考えて見て戴きたい。

 古代人は裸足で歩くのは当然で、足跡になんか関心を持っはずがない。

 それなのに特別に足跡の話をあちらこちらに残したのは、

 それまで考えもしなかった足跡というものが、

 突然、彼等の話題になるような事態を体験したからである。

 それは稲を植えるためには、過去には避けて通った泥濘(ぬかるみ)に、

 足を入れるという不快な行為が強制される。

 そのときイヤでも順に足跡がつき、その足で歩いた道にも足型がつく。

 もう一つは「仏足石(ぶっそくせき)」が当時は釋迦の象徴だったことである。

 中期の仏教は繹迦像を作ることを避けて、

 仏の足型と称するものを聖体として礼拝させていた。

 水稲稲作という不慣れな農業で足型に関心をもった人々に、

 その仏足の話は効果的に

 「巨人・釈尊」の偉大さを、印象づけるはずだったが、

 残念ながら当時の弥生人は、

 インド人ほどの教養環境で育ってはいなかった。

 彼等の印象に残ったのは巨大な肉体をもった怪人が

 実在するという「新知識」だけだったから、

 やがてまだ見ぬ最高指導者の「大太良法師」と混線して、

 ダイタラボッチという怪物の話が出来上がってしまったのである。

 こうした民話は従来は漠然と、

 愚かな古代人の想像した無駄話ぐらいにしか扱われなかったが、

 そうした伝承学はもう古過ぎる。

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