2012年2月20日月曜日
鰹節とコンニャク
《鰹節とコンニャク》
ウィキペディア百科事典によれば
「鰹節(かつおぶし)=カツオを原料とする日本の保存食品。基本的には魚体を三枚以上におろし、
「節」(ふし)と呼ばれる舟方に整形してから加工された物を指して鰹節と言う。
加工工程の差異によって、鰹を茹で干したのみのもの(なまり節)、それを薫製したもの、
さらに黴を生やしたものがある。通常よく知られている鰹節は黴まで生やしたものであるが、
広くは何れも鰹節と呼ぶ。
「鰹節」の称は薫製法ができる江戸時代以前から既に用いられている。
うま味成分のイノシン酸を多量に含有し、調味料として好んで用いられる。
ビタミンB群など栄養分を豊富に含む。
また、黴を生やした枯節(かれぶし)と呼ばれる種類の鰹節は、
うま味成分やビタミン類が他の鰹節より多く含まれ、高級品として扱われている。
モルディブなどにも類似した加工食品が存在する。
コンニャク(蒟蒻)=サトイモ科の植物。あるいはその球茎から製造される食品のこと。
コンニャクを食用としている地域は日本、中国、ミャンマー、韓国で、農産物として生産され、
市場に流通しているのは日本のみである。日本での主産地は群馬県で国内産の9割を占める。」
と書かれている。
※出典:Wikipedia:鰹節
Wikipedia:コンニャク
「カルデヤ→インド→稲敷→殷の大量の証拠群が復元」
<カルデヤ人>は国を作る500年も前に、そんな進んだ文化をもっていたはずがない、
偶然だ、間違いだという者が必ず現われるからある。
本当に<カルデヤ人>が<レイライン文化>をもってきたのであろうか?。
まず殷墟と稲敷との間に2200kmの<レイライン>が実在することは、
地図で計ってみればすぐ確認できる。
その<レイライン>は以後の日本列島に定着して、
5世紀に築造配置されたことの確実な<仁徳天皇陵>から<応神天皇陵>、<景行天皇陵>、
<伊勢元宮跡>までが、全く同じ11の倍数単位で測定配置されている。
<その他の古墳>はもちろん、<神社仏閣>まで同じ配列になったものが、
8世紀以後の建造物にまで実在している。
だからこの<レイライン文明>は<日本の古代文明>だと主張できるから、
なにもカルデアと結びつける必要はないのだが、
前記のように<殷>と<稲敷>の結びつきが明瞭で、
その稲敷と九州との間に<イン>・<イナ>の地名遺跡が現存して生きている。
しかもそれはインドとつながって<イン>・<イナ>という地名のルーツを立証している。
それと同時に、そのルートを結ぶ、<カルデヤ>の名からしか生まれない地名や国名の一族が、
<ミャンマー>から我が国まで見事に分布していて、その関連を疑う余地がない。
そのコースは<鰹節>や<宝貝貨幣>といった<特殊な海洋産業遺物>によって、
殷帝国の誕生史を裏書きしている。
「インド→イナ(稲)→イン(殷)の移住は史実」
<殷人>は本当に<シュメール人>だったのであろうか?。
その名からみて、インドの方が深い関係がありそうである。
その答は我が国の特産物のように考えられている<鰹節>にある。
それは古代から、インド西岸にある<ラッカデヴ諸島の名産>だったのである。
この諸島はまた<宝貝の宝庫>でもある。
日本の鰹節やコンニャクなどはスリランカ原産である。
それらは日本建国以前から作られていた。
八俣の大蛇と共にやってきていたのである。
コーレイの名を生んだインド、ことに南海のスリランカとの交流もあり、
カツオ節やコンニャクを運んだり、山鉾の神事を伝えたのも、
彼らと彼らの交易相手であるインドの人々である。
<日本の鰹節>と、殷帝国を支えた<古代沖縄の宝貝通貨>が、
シュメール人の移動コースを記録している。
それは<ラッカ>という発音で<サッマ>に結びつく。
彼等はインド人として我が国へきて、
次第に北へ東へと拡大して分布圏を拡げた。
その歴史を今ある主な地名でたどってみると次のようになる。
まず『後漢書』が書く
後漢の光武帝が授けた印綬=福岡の志賀の島出土金印の
「漢の委奴国」=稲築(いなちく)(福岡)。
因の島(広島)。
因幡(いなば)(鳥取)。
稲美(いなみ)(兵庫)、
伊南(いなみ)(兵庫・徳島)。
稲(いな)・猪名川(兵庫)。
員弁(いなべ)(三重)。
稲沢(愛知)。
伊那(岐阜)。
引佐(いなさ)(静岡)。
稲城(いなぎ)(東京)。
印旛沼(千葉)。
稲敷・伊奈(茨城)と続き、
小地域名には<稲>、<稲葉>、<稲荷>、<稲田>など<稲のつく地名>が
多数あるが茨城以北には分布しない。
<殷墟>と<稲敷>を結ぶ<レイライン>は、<殷>から真東を求めて、
偶然そこに稲敷があっただけだという人もあったが、それだと、
こんなに移動コースに匹敵する地名分布だけ残り、それ以北に分布しない、
こんな現象は絶対に起こらない。
インド→イナ→インの移住は史実である。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
『My ブログ』
古代メソポタミア
歴史徒然
ウワイト(倭人):大学講義録
ウワイト(倭人)大学院講義録
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