2012年2月9日木曜日
島根県の石見(いわみ)にあった冥界「根の国」
《島根県の石見(いわみ)にあった冥界「根の国」》
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伊弉諾(イザナギ)「石の王」が訪れたという
愛妻・イザナミの命の墓はどこにあるのか?。
それもこれで完全にわかる。
五色は「イシキ=石王」で男王。
女王なら「石女=イシメ・イシミ」である。
これはわかり易い。
イシミ=石見だから島根県の石見(イワミ)。
するとその県名に冥界を意味する「根」の字がついている理由までわかる。
スサノオの命は死んだ母の居る冥界「根の国」へ行きたいと
泣きわめいたと『記・紀』に書いてある。
そして命は同じ県の出雲神話の主人公である。
それが荒唐無稽な神話ではなく現実の歴史だったことが、
これで見事に立証できた。
そればかりか、これまで四国経由だけしかわからなかった、
倭の五王の移動コースには、
山陰経由コースもあったことが新たに見えてきた。
すると履中天皇が、
讃・珍・済・興・武に合わず、はみ出している理由もわかった。
また珍も、
皇位につかなかったと書かれている宇遅能和紀郎子(ウチヌワキイラッコ)にしか合わないのに、
『記・紀』の記述とは食い違って、
珍の獲得した領土の大きさは、
淡路島の津名から血沼の海をこえて紀伊に及び、
以後の天皇政権の、奈良への北上を可能にした。
だから倭の五王の記事と、
『記・紀』の天皇系譜とに大きな不一致点を残していた
この宇遅能和紀郎子と履中天皇の問題は、
今、こうして山陰コースが実在したという動かぬ証拠が揃ったことで、
一挙に疑問が吹き飛んで、大きく前進したのである。
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