2012年2月11日土曜日

南九州語「大(フトカ)・小(コメー)」



南九州語「大(フトカ)・小(コメー)」

『My ブログ』
歴史徒然
ウワイト(倭人):大学講義録
ウワイト(倭人)大学院講義録 
オリエント歴史回廊(遷都)
古代史つれづれ 
古代史の画像
ネット歴史塾
古代史ブログ講座
ネット歴史塾
ひねもす徒然なるままに    
「終日歴史徒然雑記」
「古代史キーワード検索」

『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』 

『検索』
GoogleWeb検索
Google画像検索
YahooWeb検索
Yahoo画像検索
翻訳と辞書
リンクフリー〔UTF-8 対応版〕


弥生前期に弘前まで誰が水稲稲作を広めたか、充分よくわかったが、

今度は、熱帯水稲はインドからだけ入ったのではないことと、

その稲の種類についてお話ししよう。

私たち本土人は

食べる部分の稲の種子=「米」をコメと発音するが、

沖縄の人は「クミ」と発音する。

そして沖縄にある久米島も「クミ」島と呼ぶ。

その久米を本土人は「クメ」と読むが、

東南アジアにはクメールという人々が、

古来強力な種族を形成していて、もちろん稲作人種である。

言語の共通性も久米の名も、米をわざわざ「クミ」と呼ぶことも、

全てが沖縄への稲作の運び手の中に、クメール人がいたことを物語っている。

だがここではどこから来たかが問題なのではない。

南九州語では「コメー」というのは「小さい」という意味である。

これの対象語「大きい」は「フトカ」という。

だから「コメ」はクメールから来た稲で小粒であり、

そのほかに「大粒の米」があったことになる。

その米は誰がもって来たのか?。

答はその名にある。

「フトカ」は漢字で書くと「浮屠家」で仏教人をいい、

ホトケの語源でもある。

南九州語の「大・小=フトカ・コメ」は、古代からあった形容詞ではなくて、

稲作が各地から入って来て、その米粒の大小から新たに生まれた日本語だったのである。

これもまた仏教徒が稲作をもって来た動かない証拠であり文化財なのだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿