2012年2月8日水曜日

八百萬(やおよろず)の神の存在



 《八百萬(やおよろず)の神の存在

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 真実の日本人は、この辺鄙の小島に細々と暮らしてきた列島土人の子孫ではなく、

 少くとも3000年まえには世界に先駆けて地球の大きさを測量し、

 海を越えて中国に殷帝国を建国し、

 シベリアを領土とし、

 その他の広域アジアの人々と交易し、

 通貨を供給してグローバル経済を維持し、

 発展させ続けていた偉大な文明人だったのである。

 無知な明治人が空想したような、

 他の人類とは異なった特殊な日本土人どころか、

 当時の全世界の文化を、逆に指導し、

 高めることに努めた最高の文明の持ち主だったのである。

 それは今、我が国だけにある「神道」という

 宗教の実態を知れば、疑いの残る余地はない。

 それは「八首萬(やおよろず)の神」という古語が全てを立証している。

 この八百萬の神とは、過去の学者が漠然と空想して説明していたような、

 「多数の神」という、単なる装飾語や、ただの量的表現ではない。

 それは日本語の初歩さえも心得ない学者?たちの実態を

 白日のもとに暴露している説明なのである。

 日本語では「八百(やお)」は八百屋(やおや)という使用例が物語るように、

 いろいろな種類、品種の多いこと表現する「形容詞」であって、

 単に数量が多いという数詞ではない。

 「萬(よろず)」もまた、

 今も生きている萬屋(よろずや)という商店名が証明しているるように、

 一種類の商品を1万個もっているという、単に多数を意味する言葉ではなく、

 多数の「種類」の商品が揃っていることを意味した形容詞で、

 萬屋はデパートに当る言葉である。

 だから八百萬の神とは、単に1宗教の神が、8百万もいるというのではない。

 それは八百も萬も、

 「日本には世界の多種類の宗教の神々が祭られている」という意味なのである。

 このことに早く気づいた私は、半世紀以上かけてその実態解明に取り組んだ結果、

 古人が書き残したとおり、

 日本の神々には、

 一神教の神も、

 多神教の神々も、

 仏教の神々も、

 東南アジアの地方神も、

 シベリアのシャーマンも、

 朝鮮のムーダンも、

 さらには遠くエジプトの神々も、

 ギリシャの神々も、

 はっきり見分けられる名で記録されていることを発見し、

 新たな証拠を次々に書き加え続けることができた。

 それは唯物史観によって無視されていた無形の

 『言語文化財』の存在を発見し、

 その役割と意味と変化を確認できるようになったからである。

 それはまた天皇名とされてきたものが、本当は個人名ではなく、

 その領土と職務を併せた「名乗り」であることの発見と相俟(ま)って、

 その当時の都や主要国がどこにあったか、

 それがどう発展し、どう移動し、どう変化したかといった重要な史実を、

 一つ一つ確実に確認することができるようになった結果、

 それまで先人の説を批判して

 「間違いだと思われる」

 「こちらが正しいのではなかろうか」

 「…ではあるまいか」といった、

 実にあいまいな論争だった

 「水掛け論式学説」ではとうてい解明も発見もできなかった

 「真実の史実」を、知性ある人なら万人が認めるしかない

 「科学的結論」として、すべて確認できるようにしたのである。

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