2012年2月28日火曜日

歴史年表(8)日本建国史年表



 紀元前(BCE=共通紀元前。「BC=キリスト以前」は学術上は不適当)

  18世紀 バビロニア第王朝滅びる。カリエン人(和人)の大移住はじまる。
 1523年 中国に殷人の商帝国起こる。その繁栄は宝貝貨幣によって支えられていた。
  10世紀 中国。殷・商帝国滅亡。周帝国に変わる。
 7世紀後半 北インドに第1次マガタ国ほか16大王国生まれる。
  縄文後期 「遮光器土偶」はこのころのものか?
       ?『記・紀』の日本神話の「天孫降臨」は、このころとして書かれている。
  660年 『日本書紀』はこの年を神武天皇の即位年とするが、それはこのマガダ国の誕生と
       重なるから、なんらかの記録があったものと考えられる。
  269年 マガダ国アショカ王即位。
  244年 アショカ王による仏典結集。東西南北へ仏教宣布団を派遣。東はソナカ宣布団が
       開拓して、ミャンマーから、後にインド・シナ半島、インドネシア各島に及び、
       台湾から沖縄、そして九州に達した。この頃日本列島に水稲、弥生土器が作られ
       始め、本州西部に銅鐸文化が広がる。
       ?ソナカ仏教布教団、台湾にまで到達。
  221年 秦の始皇帝、中国を統一、即位。
  219年 徐福、ホーライ島へ出発。
  210年 このころ台湾がホーライと呼ばれているのは『ギリシャ神話』のイヤーソンらが
       「金毛羊皮」を求めて到達した記事に一致。
  140年 地中海人種の烏孫人、月氏の国土を占領、月氏の移動始まる。
   70年 月氏、烏孫の敦煌周辺を占領、仏教圏生まれる。烏孫の移動始まる。烏孫人の一部は
       長江を下だって、旧[呉]地域などに移住。以後。呉は「ウー」と呼ばれる。
   53年 西域の烏孫国大乱。仏教化した烏孫人分散。
   40年 頃までに高句麗建国。ホーライ…高麗…高句麗。
 紀元後(CE=共通紀元)
       卑弥呼、伊是名島の王女として誕生。これが天照大神の記事になる。
       卑弥呼、ソナカ=仲哀天皇と結婚、仲哀死ぬ。これが天の稚彦の神話。
  168年 後漢の孝桓帝死に、孝霊帝即位。このころ初代卑弥呼、連邦女王に共立される。
       ここまでが『記・紀』の[神功皇后紀] の初期の記事に一致する。
       弥生時代後期。南朝鮮に馬韓・辰韓・弁辰の古三韓あり。
       三国とも日本語名の小国で構成。
  240年 魏の正始元年、帯方郡使・建中校尉・梯儁、卑弥呼に会い鏡などを届ける。
  241年 辛酉の年。神武=山上王位宮=垂仁天皇即位年。本当の日本建国記念日。
  244年 新羅始祖・赫居世(邪馬壹国女王「壹與」と諸条件が一致)、沖縄で即位。
  247年 魏の正始入年、狗奴国男王・卑称弓呼素、邪馬臺を攻撃。老卑弥呼死ぬ。
       これが神武天皇の東征記事の一部になる。
       壹與(次の卑弥呼・日葉酢媛)を立てて内乱収まる。
       大邪馬臺政権消え、邪馬壹国誕生。
       筆頭官「伊支馬」は山上王位宮で『記・紀』の神武天皇と垂仁天皇に一致。
       ?鹿児島県川辺郡(灌奴部)の知覧に古代新羅「鶏林」が都する。
       その後、福岡が白日別と呼ばれ『三国史記』[新羅本紀]の
       「斯盧」時代に一致する。
  316年 晋滅ぶ。
  318年 東晋建国。
  386年 北魏建国。
  413年 東晋・義熙九年。倭王・賛あり。
  420年 宋建国。
  438年 倭王・讃死に、弟・称立つ。
  443年 倭王・済、宋に遣使。
  460年 倭王・興、実に遣使。
       ?倭王・興死に、弟・武立つ。
  478年 倭王・武、宋に遣使、上表する。
  479年 劉宋滅ぶ。
  502年 梁の高祖即位し、倭王・武を征東将軍にする。

  581年 隋、建国。このころ日本列島は俀国時代。
  592年 『日本書紀』の推古天皇即位。
  608年 (『日本書紀』の推古一六年)隋・大業三年、隋の文林郎・裴清、俀国へくる。
       連邦皇帝=阿毎多利息北孤。
  622年 『日本書紀』の聖徳太子、斑鳩に遷都。
  628年 隋ほろび、唐建国。
  640年 舒明天皇、百済宮に遷都。大阪・百済倭国時代に入る。
  645年 『日本書紀』の大化改新。孝徳天皇、長柄豊碕宮に遷都。
  659年 阿倍比羅夫、蝦夷を討ち、後方羊蹄に政所をおく。
  660年 阿倍比羅夫、粛真を討つ。唐と新羅の連合軍、百済を攻める。
  661年 辛酉の年。『三国史記』新羅太宗王・金春秋死に、文武王・法敏即位。
       天智天皇(神武=金春秋)即位年。本当の統一日本建国記念日。
  663年 大阪・枚方大戦。五彩圏連邦と朝鮮半島の百済ほろぶ。
       倭・日本(オカモト)の宮=斉明+天智(称制)の連立政権時代始まる。
  670年 天智天皇の称制時代終わり、国号を倭固から「日本国」に変える。
  672年 壬申の乱。大海人皇子、弘文天皇を倒し、飛鳥浄御原宮に移る。
  673年 天武天皇即位。
  681年 『浄御原令』=律令制定。
  691年 持統天皇、18氏に『纂記』を提出させる。
  718年 『養老律令』発布。初めて国名を「ヤマト」とつける。
  752年 初めて朝廷の名に「大和=ウワ」の文字を当てる。奈良大仏開眼供養。
  759年 光明皇太后、居宅を阿?寺(のちの法華寺)にする。
  764年 淡海三船、天皇の漢風諡号を作る。
  780年 ごろから陸奥、騒がしくなり討伐はじまる。
  950年前後 源順、『倭名類聚鈔』を執筆編集する。
 1083年 源義家、陸奥の守となって陸奥に赴任する。

 ※出典:加治木義博「YAMATO・KKロングセラーズ:215~219頁」

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2012年2月27日月曜日

歴史年表(7)古代日本人文明史年表



 《古代日本人文明史年表
 「古代日本人文明史年表


 B.C.E.3000年 エーゲ海にミノア(美濃国)文明開花
        クレタ島にミノス(蓑洲)大王時代がくる。  
        妹のエウロペがミノスの母だから、 
        カドモスはこの時代の人

 B.C.E.2000年 シュメル王朝誕生スメラギが初めて即位
        その呼称が我が国に現在まで残るし、
        多くの文化財を残しているから、
        間違いなく私たちの先祖。

 B.C.E.1550年 稲敷人によって殷王国誕生沖縄のカリエン(高族)
        貝貨幣で殷帝国を繁栄させる。
        その出先基地・高句麗は五彩圏で最も早く建国。
        その初代大王は、高朱蒙(コスモ=世界・宇宙・
        人類)というギリシャ名の持ち主だった。

 B.C.E.1500年 フェニキヤ誕生

 B.C.E. 660年 アカイヤ人ミケーネ時代を作る。南国=アカイヤ
        ミケーネ=三毛野。
        ミケーネと国分・隼人の地理条件も酷似。
        神武要素が完全に揃う。
        また同じ頃、新バビロンも誕生。 


 B.C.E.660年頃 インドに、マガダ。コーサラ、アヴアンチイ、
        ヴァッツァなど小国群誕生。

 B.C.E.550年頃 マガダ強大になり、インド統一。
        327年にアレクサンドロスに滅ぼされる。 

 B.C.E.321年  新しいマガダ国誕生。チャンドラグブタ
        マウリヤ(孔雀)王朝はじまる。

 B.C.E.250年  マガダ国アソカ王、4道に仏教宣布団を派遣。
        東方を担当したソナカ長老の一族は、東南アジアを
              経て、卑弥呼時代には我が国に達していた。

 これを見ると前マガダが、紀元前660年前後に建国している。

 これに比べると、そのころ生まれた新バビロンの方は、やや曖昧である。

 だが、我が国の歴史ではカリエン人の高族が、B.C.E.1500年代にやってきて、

 先住民になっていた後に、

 ギリシャ人がやって来てイオニヤ政権を樹(た)て、

 隼人に都市国家ミケーネをつくっていたことは間違いない。

 そのあとにソナカ=仲哀天皇らがやって来たことも疑いないから、

 B.C.E.660年を建国元年とした神武紀元は、

 ソナカと卑弥呼の倭国が決めたものに間違いないが、

 それがギリシャのミケーネ市の紀元と、新バビロンの建国期にも不思議に重なるので、

 両者にも受け入れられて、660年頃を我が国の建国の年にしたとみるのが合理的だ。

 我が国に移植されたシュメル・カルデア文明と、ギリシャのミケーネ文明と、

 インド・繹迦文明は、こうして卑弥呼時代に花開いたのである。

 ※出典:加治木義博「言語復原史学会・大学院講義録21:16・17頁」

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歴史年表(6)文化史年表 (CHRONOLOGICAL CHART):日本(JAPAN)



 《文化史年表 (CHRONOLOGICAL CHART)
 「文化史年表 (CHRONOLOGICAL CHART)

 ※出典:Wikipedia:縄文時代
  
     Wikipedia:弥生時代
  

   C.7951 夏島

   縄文文化(JOMON CUL)・商人(シアルク=さろく=歩き回る)

   C.7500 早期(1 st Stage)
   C.4200 早期(1 st Stage)
   C.4200 前期(2 nd Stage)
   C.3500 前期(2 nd Stage)
   C.3500 中期(3 rd Stage)
   C.3145 加茂
   C.2563 姥山
   C.2500 中期(3 rd Stage)
   C.2500 後期(4 th Stage)

   沖縄文化 貝貨幣産業
   霊ライン  ⇒⇒古墳文化
   稲敷文化
   干支圏

   C.1122 検見川
   C.1100 後期(4 th Stage)
   C.1100 晩期(5 th Stage)
   C.0334 晩期(5 th Stage)

   弥生文化(YAYOI CUL) 
 
   C.0334 前期前半(E.Y.Ⅰ)
   C.0200 前期前半(E.Y.Ⅰ)
   C.0200 前期後半(E.Y.Ⅱ)
   C.0100 前期後半(E.Y.Ⅱ)
   C.0100 中期前半(M.Y.Ⅰ)
   C.0000 中期前半(M.Y.Ⅰ)
   C.0000 中期後半(M.Y.Ⅱ)

  ※出典:加治木義博「言語復原史学会・大学院講義録20:5頁」

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2012年2月25日土曜日

歴史年表(5)「鹿児島県の古墳編年表」



 「鹿児島県の古墳編年表

 年代      古墳名 古墳の形状    遺跡所在地    年代推定の基準となるもの

 3世紀    ○堂前 地下式板石積土壙 出水郡高尾野町  免田式(他の一基に成川式)

 4世紀    ○祓川 地下式土壙    鹿屋市祓川    成川式(他の一基に短甲、冑)

 5世紀中頃   飯盛山 前方後円墳   曽於郡志布志町  竪穴式石室、壷形埴輪ガラス製勾玉

 5世紀中頃   小浜崎 積石塚、円墳  出水郡長島町   割石小石積竪穴式石室

 5世紀後半   大塚  前方後円墳   肝属郡東串良町  竪穴式石室、箱式石棺、短甲

 5世紀後半   横瀬  前方後円墳   曽於郡大崎町   竪穴式石室、円筒埴輪、形象埴輪(楯)

 5世紀後半   天子ヶ丘前方後円墳   曽於郡大崎町   日光鏡、獣帯鏡

 5世紀後半   北方  円墳      姶良郡栗野町   冑

 5世紀後半  ○天神原 地下式土壙    肝属郡高山町     冑

 5世紀後半  ○溝下 地下式板石積石室  出水市知識道場園 短甲、冑、矛

 5世紀後半  ○横岡 地下式板石積石室 川内市横岡    冑、須恵器

 5世紀後半  ○別府原 地下式板石積石室 薩摩郡薩摩町   刀、剣、鏃

 6世紀前半  ○上原  地下式土壙      肝属郡高山町   軽石石棺、蛇行鉄剣

 6世紀前半  ○天子ノ前 地下式土壙   曽於郡大崎町横瀬 軽石石棺、内行花文鏡

 6世紀中頃   脇本   高塚式古墳    阿久根市脇本     横穴石室、組合せ石棺

 6世紀中頃   鬼塚  高塚式古墳   出水郡長島町   横穴式石室、須恵器

 6世紀中頃   白金崎 積石塚     出水郡長島町   横穴式石室、須恵器

 6世紀後半  ○小木原 地下式板石積石室大口市小木原   円頭太刀、馬具、金環 

 6世紀後半   温之浦 高塚式古墳   出水郡長島町   横穴式石室、金環、鏃

 6世紀後半   指江  積石塚     出水郡長島町   栗石積竪穴石室

 6世紀後半  ○亀甲  地下式土壙   国分市向花    金銅製三螺鈿柄頭太刀、須恵器

 7世紀    ○鷲塚  地下式土壙   曽於郡大崎町永吉 刀子    

 8世紀    ○横間   地下式土壙   肝属郡高山町新富 蕨手刀、須恵器、斧

  (注)○印はハヤトの墳墓
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2012年2月24日金曜日

歴史年表(4)「和人史」年表



 1 紀元前1523年。
   バビロニア第一王朝滅びる。カレン人の放浪生活、始まる。

 2 紀元前1523年
   中国に商(シャン)=後の殷(イン)帝国起こる
   その繁栄は宝貝によって支えられていた。
   カレン人は沖縄海域で宝貝産業に従事。
   沖縄の貝塚からは宝貝の貝塚出ない。

 3 弥生時代
   種子ガ島の広田遺跡付近に「山」という漢字や、古代中国の文様を彫った
   装飾品をもった人々がいた。その付近は今も水稲や「赤米」を祭祀用に栽培している。
   古代辰韓

 4 紀元前
   高句麗、北朝鮮に建国
   その国名は宝貝を意味する。
   地名、数詞は日本語。
   沖縄から九州本土西部を北上した痕跡『三国史記』「高句麗本紀」の地名、王名に残っている。

 5 3世紀
   朝鮮に馬韓・辰韓・弁辰古三韓あり。
   三国とも日本語名の小国で構成されている。

 6 244年
   高句麗・山上王位宮、北朝鮮より敗走、行方不明になる。


 7 244年
   新羅始祖・赫居世(のちの倭女王「壹與」と諸条件が一致)、沖縄・与那原で即位。

 8 246年
   辰韓の「臣濆沽」国主、帯方郡の崎離宮を攻めて太守を殺し、臣濆沽国、滅亡。


 9 247年
   狗奴国男王・卑弥弓呼素、邪馬臺国を攻撃。
   卑弥呼死ぬ。大冢を作る。古墳時代の始まりか?

 10 247年。
   2代目卑弥呼・御間城姫、立つが、夫・崇神天皇の自立で内乱起こり、邪馬臺国消える。

 11 247年。
   3代目卑弥呼・壹與、立つ。邪馬壹国起こる。
   筆頭官「伊支馬」は山上王位宮=垂仁天皇。

 12 247年?。
   鹿児島県知覧に古代新羅「鶏林」が都する。
   福岡が白日別と呼ばれ新羅「斯盧」時代に一致する。

 13 425年頃
   倭王・珍の名乗りに始めて新羅・百済の名がある。
   このころ朝鮮に始めて古墳ができる。

 14 663年
   新羅王・金春秋、百済を滅ぼす。こののち天智天皇即位。
   「神武東征」革命で倭国滅ぶ。

 15 670年
   倭国、国号を「日本国」に変える。

「和人史」年表の補足説明

 <1>のカレン人だが、古代バビロニアは「カルデア人」の国である。

 この「カル」と「カレン」や「カリエン」の「カレ」「カリ」は、

 方言ていどの違いでしかない。

 沖縄・南九州方言は「ラ行」を「ダ行」で発音することは、

 前章で説明したが、

 大坂の河内方言では「ウドン」を「ウロン」と発音したこともよく知られている。

 仮に河内方言で「カルデア」を読むと「カルレア」。

 それに「人」を意味する語尾の「アン」または、南九州助詞の「ン」をつけると、

 「カルレアアン」または「カルレアン」になる。

 これが縮まって「カリ工ン」「カレン」になっても不思議ではない。

 「カレン」の語源は「カルデア人」であった可能性が濃厚である。

 宝貝の「カウレイ」は「カルレアン」が「カウレアン」と

 訛った場所・時代があって、

 そこで「カウレ人の商品」という意味で

 「カウレ・イ」と命名されたように見える。

 彼等がバビロニアで宝貝を取っていたとは考えられないから、

 それは放浪中に始めた仕事だったはずである。

 貝の名の方があとで生まれたことは間違いない。

 それが移動先でさらに次々と発音が訛って

 「コーリー」や「コグレー」と変化したのである。

 <2>の中国古代帝国「商」(シャン)の名もまた、

 ビルマからタイヘかけての山岳地方に住む民族の総称として有名な

 「シャン民族」の名と一致する。

 ビルマにはシャン・高原

 シャン州が、カレン・カレンニの二州とならんで実在しており、

 それらの地方からタイに移動した民族の名前をとって、

 かってタイ国がシャムと呼ばれていたことをご存じの方も多いと思う。

 <3>の赤米は今も私たちがお祝いに食べる赤飯の古い姿だというのが定説である。

 年表には書けなかったが、

 北部九州が銅剣・銅鉾をもっていた弥生時代に、

 南九州からはそうした銅器が全然出てこないので、

 南九州は文化が低かったのだとされていた。

 しかし戦後、

 同じ弥生時代の遺跡から銅器の変りに鉄器が次々に出てきて、

 南九州が一と足さきに鉄器時代に入っていたことが明らかになった。

 そこで「なぜ北九州の方が遅れていたのか謎」とされていたが、

 読者にはもう、その理由がよくお分りだと思う。

 <4>地名は日本語。

 『三国史記』「地理」にある朝鮮の古地名が日本語であることは

 加治木義博著『異説・日本古代国家』で説明済みなので、

 もと高句麗領地名を選んで少し例を挙げておく。

 それがどうして日本語だと分るかというと、

 地名は全然別のものに変えてしまうと

 不便極まりないから、

 どうしても元の地名に近い発音をもった当て字に変えるしかない。

 <十谷城>という地名を新羅王が鎮湍県に変えているのをみると

 「ジウタンキ」という名を「ジンタンケン」に変えたとみるほかない。

 十谷城を<ジウタンキ>と発音するのは

 日本語の・南九州方言しかないということが分るのである。

 また<烏斯含達>は

 「ウシガンダ」か「オシガンダ」としか読みようがないが、

 それは牛神田か押神田という日本式地名である。

 以下、説明ぬきで並べてみよう。

 沙熱伊=サネツイ=実洋井。

 古斯馬=コシマ=小島。

 伊伐支=イバルキ=茨城。

 加支達=カシダ=加世田。

 河西羅(または何瑟羅)=カシラ(またはカヒラ)。

 千珍=ウチヌ。

 数詞は日本語。

 高句麗の数詞を日本語か?

 と指摘したのは『広辞苑』の新村出氏である。

 「三・七・十」に当たるものに

 「蜜(ミツ)・難(ナヌ)・徳(卜)」

 という当て字が使ってあるのを発見したからであった。

 これはその後、

 加治木義博が後の数詞全部を見つけだして日本語だったことを立証できた。

 <10>邪馬臺国は鹿児島からどこへ移動したのか?

 崇神天皇系の人々が兵庫県に移住した事実が

 「天の日矛」伝承として記録されているが、

 邪馬臺国の名は「宇治山田」型の地名として

 京都、奈良、伊勢に分布している。

 この地域は弥生後期、銅鐸文化が栄えたが

 3世紀末頃に奇妙な滅び方をしている。

 これは先住民が新しい勢力に征服されたかたちに見える。

 そして代って古墳文化が栄え始める。

 その古墳は卑弥呼の死にともなって作られた「大冢」が、

 記録に残る「古墳らしいもの」の最初である。

 こう考えてくると

 3世紀の近畿地方の大変動は

 邪馬臺国の人々の移動によるものであった可能性がもっとも強い。

 <13>「倭の五王」をその頃の近畿の支配者と考えるのがこれまでの常識だったが、

 最後の「武」の上表文を分析してみるとそれは間違っている。
 
 『参考』
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2012年2月23日木曜日

歴史年表(3)「大化改新」関連年表



 《「大化改新」関連年表
 《「大化改新」関連年表

 紀元前(BCE=共通紀元前。
 「BC=キリスト以前」は学術上は不適当)

 18世紀 バビロニア第一王朝滅びる
      カリエン人(和人)の大移住はじまる

 1523 中国に殷人の商帝国起こる
      その繁栄は宝貝貨幣によって支えられていた。

 10世紀 中国。殷・商帝国滅亡周帝国に変わる。
      伝説では老子はこのころの人とされる。

 770年 東周建国する。

 7世紀後半北インドに第一次マガダ国ほか16大王国生まれる

  660 『日本書紀』はこの年を神武天皇の即位年とするが、
      それはこのマガダ国の誕生と重なるから、
      なんらかの記録があったものと考えられる。

  440 マガダ国、ガンジス河流域統一

  322 チャンドラグプタ、新・マガダ国建国(マウルヤ王朝)

  269 マガダ国アショカ王即位

  244 アショカ王による仏典結集
      東西南北へ仏教宣布団を派遣東はソナカ宣布団
      開拓して、ミャンマーから、後にインド・シナ半島、
      インドネシア各島に及び、
      台湾から沖縄、そして九州に達した。
      この頃日本列島に水稲、弥生土器が作られ始め、
      本州西部に銅鐸文化が広がる。
      インド以北はミジマ宣布団が開拓する。

  221 秦の始皇帝、中国を統一、即位

  219 徐福、ホーライ島へ出発
      このころ台湾がホーライと呼ばれている

  210 秦の始皇帝、死ぬ

  160 地中海人種の月氏シャケ(サカ・スキュタイ)族
      国土を占領、シャケ族の移動始まる。

  150 シャケ人、インド北部、ネパールヘ侵入

  145 司馬遷生まれる

  140 地中海人種の烏孫人、月氏の国土を占領
      月氏の移動始まる。

  140 漢の武帝即位

  121 漢の武帝、金人を手にいれて大神とする

   86 司馬遷死ぬ。

   70 月氏、鳥孫の敦煌周辺を占領、仏教圏生まれる
      鳥孫の移動始まる。鳥孫人の一部は
      長江を下だって、旧[呉]地域などに移住。
      40年ごろまでに高句麗建国

  紀元後 (CE=共通紀元)
      『日本書紀』の紀年は誤りだが、比較に便利なように、
      そのまま配列した。

   26 後漢の建武二年、委奴国、後漢・光武帝に朝賀し印綬を
      受ける?

   57 後漢の建武中元二年、委奴国、後漢・孝明帝・荘に
      朝賀し印綬を受ける?

  168 後漢の孝桓帝死に、孝霊帝即位。
      このころ初代卑弥呼、連邦女王に共立される。
      これが『記・紀』の神功皇后の初期の記事に一致し、
      葛城襲津彦も登場する。

  239 魏の景初三年、倭人連邦女王・卑弥呼・魏の帯方郡に
      使者・難升米らを派遣。
      高句麗・山上王位宮、北鮮より敗走、行方不明になる。
      このころ粛真国がある。

  244 新羅始祖・赫居世(邪馬壹国女王「壹與」と諸条件が
      一致)、沖縄で即位。

  247 魏の正始八年、狗奴国男王・卑弥弓呼素、邪馬臺を攻撃。
      老卑弥呼死ぬ。
      これが神武天皇の東征記事の一部になる。

  247 壹與(次の卑弥呼・日葉酢媛)を立てて内乱治まる。
      邪馬臺政権消え、邪馬壹国誕生。
      筆頭官「伊支馬」は山上王位宮で『記・紀』の神武天皇と
      垂仁天皇に一致。
      鹿児島県川辺郡(灌奴部)の知覧に古代新羅「鶏林」が
      都する。
      その後、福岡が白日別と呼ばれ『三国史記』
      [新羅本紀]の「斯盧」時代に一致する。

  413 東晋・義煕九年。倭王・賛あり。

  438 倭王・讃死に、弟・弥立つ。

  443 倭王・済、宋に遣使。

  460 倭王・輿、宋に遣使。
      倭王・興死に、弟・武立つ。

  478 倭王・武、宋に遣使、上表する。

  581 隋、建国。

  592 崇峻天皇殺され、推古天皇即位。

  593 聖徳太子、摂政になる。

  608 隋・大業三年、隋の文林郎・斐清、俀国へくる。
      『日本書紀』の推古一六年。

  626 丙戌 蘇我蝦夷が大臣になる。

  628    隋ほろび、唐建国。

  629 己丑 舒明天皇、即位。

  630 庚東 岡本宮に移る。

  631 辛卯 百済王子・豊璋、人質に来る。

  637 丁酉 蝦夷そむく、討伐軍負ける。

  640 庚子 百済宮に移る。

  641 辛丑 舒明天皇死ぬ。
         「日本書紀」高句麗の伊梨珂須弥が大王を殺す。
         『三国史記』[高句麗本紀]泉蓋蘇文が王・
         建武を殺す。
         『三国史記』[百済本紀]百済王・武死ぬ。
         義慈王即位。

  642 壬寅 皇極天皇即位。百済大寺造営。
         高句麗・宝蔵王即位。
         大臣の子・蘇我入鹿、執政になる。

  643 癸卯 入鹿、山背皇子と一族を殺す。

  644 甲辰 軽皇子と中臣鎌子、団結。

  645 乙巳 大化改新(乙巳の変)。
         蘇我氏滅亡『天皇記』焼く。
         皇極退位、孝徳即位。
         大化と元号をつける。長柄豊碕宮に移る。

  646 丙午 『旧唐書』孝徳即位、元号は白雉。

  647 丁未 新羅・金春秋、人質としてくる。

  648 戌申 長柄豊碕宮に行幸する。

  649 己酉 冠位十九階を定める。
         蘇我石川麻呂一族滅ぶ。

  650 庚成 年号を白雉とする。

  651 辛亥 長柄豊碕宮に移る。

  654 孝徳天皇死ぬ。

  655 斉明天皇、再び天皇になる。

  658 阿倍比羅夫、蝦夷を討つ。
      有間皇子殺される。

  659 阿倍比羅夫、蝦夷を討つ。

  660 阿倍比羅夫、粛真を討つ。
      唐と新羅の連合軍、百済を攻める。

  661 斉明天皇、朝倉宮に移り、死ぬ。

  662 天智天皇即位。

  663 白村江の敗戦で百済滅ぶ。

  664 冠位二六階などを定める。筑紫に水城を造る。

  665 長門、筑紫に水城を造る。

  667 近江・大津宮に遷都する。
      高安城、屋島城、金田城を造る。

  670 長門、筑紫に城を造る。
      倭国、国号を「日本国」に変える。

  671 近江宮焼ける。天智天皇死ぬ。

  672 弘文天皇即位。壬申の乱。
      弘文天皇殺され、天武天皇即位。

  764 淡海三船、天皇の漢風諡号を作る。

 ※出典:加治木義博「TAIKA・KKロングセラーズ:261~265頁」
 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
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2012年2月22日水曜日

歴史年表(2)『日本書紀』編集関連年表



 《『日本書紀』編集関連年表
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   天皇   年 月    関係者と事跡、関係要件

 天智天皇  9年2月   「庚午年籍(こうごねんせき)」を創制

 天智天皇          『不改常典(ふかいじょうてん)』=『原・日本紀』

 天武天皇  10年3月   川島皇子、忍壁皇子らに『帝紀』『上古諸事』記定を命ず

 持統天皇   4年     『元嘉暦』採用→7年間使用 『日本書紀』の『元嘉暦』部分

 持統天皇   5年8月   18氏纂記提出を命ず

 持統天皇   5年9月   川島皇子死去

 持統天皇   5年     舎人親王、『日本書紀』の『元嘉暦』部分を引き継ぐ

 元明天皇慶雲4年      即位。詔で『典=不改常典』礼讃

 文武天皇   元年    『儀鳳暦』採用→67年間使用

 文武天皇   元年     →舎人親王、『紀』の『儀鳳暦』部分を加上 

 元正天皇養老4年5月    舎人親王、『紀』を完成、『紀』30巻、系図1巻を奏上

 聖武天皇神亀元年     即位。 詔で『典=不改常典』礼讃

 嵯峨天皇弘仁4年      多ノ人長、『日本紀私記(弘仁私記)』作成、講述

 ※出典:加治木義博「言語復原史学会・大学院講義

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