2012年4月7日土曜日

「ヒガシ」の語源は「日向」



 《「ヒガシ」の語源は「日向」
 「「ヒガシ」の語源は「日向」

 《「日向」以外にない「日高見」
 「「日向」以外にない「日高見」

 これで「倭」とは何だったか?という問題に、また一つの答が加わった。

 それは「アヅマ」とも呼ばれていたのである。

 その東の国へ初めて調査に行った人物として記録されているのが、

 応神天皇を名替えに連れていった武内宿弥である。

 『日本書紀』[景行天皇25年]の記事に、

 宿弥を北陸と東方の諸国に派遣して地形と人々を視察させたとあり、

 27年に東国から帰って

 「東夷の中に日高見国がある。

  その国民は男女ともチョンマゲに似た髪を結い、入れ墨し、勇敢である。
 
  その名を蝦夷という。土地が肥えて広い。

  改めて取りましょう」と報告している。

 従来はこれは今の北陸・奥州の蝦夷=アイヌ人だとしてきたが、

 アイヌ男性は髪の毛をオカッパにしていて絶対にチョンマゲなど結わない。
 
 蝦夷は「カイ」であって「貝人=カリエン」のこと。

 また北陸奥州では貝産業は成立しないから、

 北陸とは北にある陸地、

 東国とは倭国のことでなければならない。

 沖縄から南九州にかけては日高姓の人が多い。

 この日高を「ヒコウ」と読めば「日向」と同じ発音になる。
 
 残る「見」は沖縄では「目」を「ミ」と発音するが、

 他の地域の古語では「マ」で国を意味する当て字だから

 これは「日向国」への当て字とするしかない。

 宿祢は日向を視察して帰ったのである。


 《「ヒガシ」の語源は「日向」
 「「ヒガシ」の語源は「日向」

 日向は今の宮崎だが、蝦夷が宮崎にいただろうか?…。
 
 『旧唐書』の「日本」

 鹿児島県以外には当てはまらない特徴を多敷備えているが、

 その東と北の境に大山があり、

 その向うは「毛人」の国だと書いてある。

 その大山は霧島山塊に当たるが、「キリシマ」とは「毛人之国」の一つの読み方である。
 そして「毛人」と「蝦夷」は同じ人々を指す呼び名なのだ。
 
 唐の時代になってもまだ、宮崎は「蝦夷の国」だったのである。

 しかし古代日向は宮崎県だけではなかった。

 鹿児島県も日向に入っている。

 このことはヒムカシという言葉が生まれた時代が、

 宮崎だけが日向になった後だという証明なのである。

 武内宿祢はそこへ「西の国」から視察に行った。

 宮崎の西には鹿児島県しかない。

 「ヒガシ」というもう一つの発音である。

 「日向」は「ヒュウガ」と発音しているが、

 これはどこかの訛りの一つで、本来は「ヒムカ」だった。

 これに「之国」をつけると、

 「ヒムカ之国」で、これは「ヒムカシ国」と読める。

 日本の古文や万葉集などの古語ではヒガシでなく

 「ヒムカシ」と発音している。

 それが次第に「ヒガシ」に訛ったのだから、

 その語源は間違いなく「日向」だったのである。

 しかし古代日向は宮崎県だけではなかった。
 
 鹿児島県も日向に入っている。

 このことはヒムカシという言葉が生まれた時代が、

 宮崎だけが日向になった後だという証明なのである。

 ※出典:加治木義博「言語復原史学会・大学講義録6:6~7頁」


 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
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 《参考》
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