2012年3月19日月曜日

稲作文化:棚田(たなだ)&高橋貝塚



 《棚田(たなだ)&高橋貝塚
 「棚田(たなだ)&高橋貝塚

 さらに見落としてならないのは、

 水稲栽培技術の究極は「棚田(たなだ)」を実現したことであるが、

 その最古の遺跡が鹿児島県の天孫降臨の伝承地・

 笠沙の一部にあるという事実である。

 この棚田は後世の長野県などのものに比べると、

 はるかに小規模ではあるが、技法はすでに確立されており、

 鉄器の不自由だった弥生初期に、

 水稲稲作の先進国だけがもつ英知、

 進んだ技術がそのまま南九州に入ったことを立証していた。

 これは『紀・紀』の天孫降臨の伝承をもつこの地域が、

 その伝承のまま、北部九州よりも水稲稲作先進地だった証拠である。

 発掘考古学者が無視したこうした遺物もまた、

 軽率な中国→朝鮮→北部九州説を完全に消去する力をもっている。 

 この笠沙と一体になった南九州西岸、

 吹上砂丘の東部、海岸から約2.5kmの地点に、高橋貝塚がある。

 ここは縄文晩期から弥生前期にかけての遺跡で、

 出土品の甑(こしき)=(穀物を蒸す土器)に、

 土器を作る際に付着した熱帯ヤポニカ稲の籾(もみ)の跡が、

 幾つも付いているのが発見された。

 また同時に発見された石器には稲作関係の器具が完備して稲作文化の実在を証明し、

 鏃(やじり)の残骸らしい鉄器片まで出土しているのに、

 土器は高橋Ⅰ式とⅡ式という、

 北部九州の板付式土器と共通点の多い土器だけが出土して、

 大陸系のものは一つもない。

 ※出典:加治木義博「言語復原史学会・大学講義録21:26頁」

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