2012年3月4日日曜日

北伝仏教(北方仏教)と南伝仏教(南方仏教)



 《北伝仏教(北方仏教)と南伝仏教(南方仏教)
 「北伝仏教(北方仏教)と南伝仏教(南方仏教)

 中国でも卑弥呼当時には、
 仏教についてすでにかなり知られていたという事実を前提にしないと、

 帯方郡使が卑弥呼の宗教を仏教と書かずに

 『鬼道』と書いたことへの考察が甘く、

 片手落ちになるからである。

 『鬼道』と書いた郡使には、

 当時中国で知られていた彼の知る仏教と、

 卑弥呼の仏教とは同じでなく別物のように見えたので、

 仏教とは書けなかったという点が重要なのである。

 当時中国へ伝わった仏教の伝播経路は西域からの陸路で、

 その元はマガダ国から北進してガンダーラやカシミールを教化し、

 さらにカラコルム山脈を越えてタクラマカンの大砂漠に入った

 「Majjhantika マッジャンチカ」布教団である。

 東進してきたソナカ布教団の我が国までのコースに比べると距離は短いが、

 その難路は屈強な男性僧でも大変なものだった。

 また人類が生存できる限界の激しい気象環境も宗教の内容を左右する。

 同じ仏教でもラマ教の悪魔や怪物の仮面舞踏は、

 そうした環境が悪魔や悪神の暴力によるもので、

 それらから身を守り子孫を繁栄させるには、

 仏の教えに従って身を慎み善を行って、

 善神が悪神を退治る戦いに参加し助力せよと教える。

 また農業が成立しない環境では、

 畜産によって乳を飲み、殺して肉を食べ、皮を着る以外に生存の道がない。

 争わず殺さずという釋迦の教えは、とうていそのままでは守れない。

 殺生が容認される幅が、私たちからみれば遥かに拡大される必要があったのである。

 北方へ進んだ布教団の教義は、

 卑弥呼の名の真意「慈悲や愛」といった甘っちょろい観念論ではありえない。

 中国へ西域から入った仏教は、

 生首を提げた女性像が訶梨帝(カリティ)菩薩として壁画に描かれるような、

 卑弥呼仏教とは正反対のものだったのである。

 この鬼菩薩を鬼子母神(きしもじん)と訳して

 日本に紹介したのは日蓮で13世紀末である。

 日本で過去に信じられて来た6世紀の仏教伝来は、

 この北方仏教(北伝仏教)であって、

 東南アジア経由の南方仏教(南伝仏教)だった

 ソナカ=卑弥呼の仏教とは別物である。

 ※出典:加治木義博「言語復原史学会・大学講義録20:21頁」

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